天木直人の公式ブログ

【バックナンバー】2005-03-27

ブログランキングに参加しております。 よろしければクリックをお願いします!
政治 ブログランキングへ
漫画家ちばてつやの証言
 「わいせつ図画裁判で証言 ちばてつや」という見出しにひかれて、3月27日付東京新聞の記事を読んだ。
わいせつ図画販売罪に問われた出版社の社長、貴志元則被告(56)の裁判が東京高裁で行われた。面識のなかったこの被告からの依頼に、「あしたのジョー」の生みの親、漫画家ちばてつや(66)が証人に応じたというのだ。
「(この本は)一審で露骨とされましたが」と尋ねる弁護人に、ちば証人は、「僕が見ても露骨で生々しい。こどもにはみせたくない」と答える。
「ここまで描く必要があるのかといわれていますが」とたたみかける弁護人に、ちば証人は、「私の感覚もそうですね。ここまで細かく描かなくてもと思うが・・・」と答える。
そして東京新聞の記事は、「ちばさんは子をもつ親として、どぎつい性描写は、むしろ取り締まってもらったほうがいいと思っていた」と続ける。
「なんだ、ちばてつやは、わいせつ図画を規制する為に証人になったのか」と思って読み進めるうちに、ちばてつやが本当に言いたかったことを見つけて感心した。
彼は続ける、
「・・・表現を規制する法律ができると、規制を受けるのはマンガだけじゃない。小説、写真、絵画、音楽、思想、評論、雑誌。いずれすべての表現規制にかかわってくる・・・セックスとか暴力だけの内容のない作品はいずれ読者に飽きられ淘汰されていく。絶対に法律で規制するべきものではないっ!」
弁護人が続ける、
「血が飛んで残酷に見えますが、何故こういうシーンを描いたのですか」
「いろんなドラマの果てにリングでたたかうことになった。ここまで描かないと、二人の気持ちは表現できないと思いました」
実はボクシングや格闘技はあまり好きではない、血しぶきを描くのも好きではないというちばさんは、「真剣な男の戦いを描くには避けて通れなかった」として更に次のように続ける。
「表現は常に描く側の良識に任され、己の仕事に対する誇りや自粛にはかるべきだ」
その記事を書いた橋本誠記者は、次のように締めくくっている。「表現の自由の下で育ってきた(ちばさんの)、漫画への愛情が語り口にほとばしる。その目は、(インタビューを行った事務所の壁にかかっていた)パネルのジョーのように澄んでいた」
温かみを醸し出す小説
 3月27日付の読売新聞に、小説家村上春樹の次のような言葉が載っていた。一切のコメントをすることなくここに紹介したい。皆さんはどういう感想をお持ちになったて読まれることだろうか。
「ずいぶん昔のことになるけれど、20代の初め、結婚したばかりの頃、本当にお金がなくて、一台のストーブを買うことも出来なかった。その冬はすきま風の吹き込む、東京近郊のとても寒い一軒家に住んでいた。朝になったら、台所に氷がバリバリ張りまくっているような家だった。僕らは猫を二匹飼っていたので、眠るときは人間と猫と、みんなでしっかりと抱き合って暖をとった。当時なぜかうちは、近所の猫たちのコミュニテイセンターみたいなものになっていて、いつも不特定多数の猫がごろごろいたから、そういう連中も抱きこんで、人間二人と、猫四、五匹で絡み合うようにして寝ることもあった。生きて行くにはきつい日々だったけれど、その時に人間と猫たちが懸命に醸し出した独特の温かみは、今でもよく思い出せる。そういう小説を書くことができたらな、と僕は時々考える。真っ暗で、外では木枯らしが鋭いうなり声をあげている夜に、体温を分かち合うような小説。どこまでが人間で、どこまでが動物かわからなくなってしまうような小説。どこまでが自分の温かみで、どこからがほかの誰かの温かみなのか、区別できなくなってしまうような小説。どこまでが自分の夢で、どこからがほかの誰かの夢なのか、境目が失われてしまうような小説。そういう小説が、僕にとっての『良き小説』の絶対的な基準になっているような気がする。それ以外の基準は、ぼくにとっては特に意味を持たない・・・」
ベトちゃんドクちゃん
 ベトナム戦争世代の私にはなつかしい言葉である。米国の枯葉剤攻撃の被害で生まれた結合体双生児だった「ベトちゃんドクちゃん」のことだ。その弟のドクちゃんが、市民団体の招きで来日したという記事を、3月27日付の毎日新聞で知った。サッカー好きの24歳の青年に成長していた。もうそんなに年月がたったのだ。
今でも片足の欠如を松葉杖で支えなければならない姿が、あのベトナム戦争の非人間性な攻撃を糾弾しているかのようだ。
専門学校でコンピューターを学び、自ら育った病院で勤務しながら、山間部に出かけて薬を届けるボランテア活動をするドクさんは、国内外で今なお苦しんでいる枯葉剤被害者の支援をつぎのように呼びかける、
「影響は孫の代にも及んでいる。手足の欠損、脳の障害・・・僕より深刻な人はたくさんいる・・・」
この枯葉剤攻撃の反省など微塵もないかのように、今米国はイラクで劣化ウラン弾を使って罪のないイラク人を苦しめている。
兄ベトさんは両親の記憶さえなく病院で今も寝たきりであるという。「(平和とは)家族で仲良く一緒に暮らすこと。僕のような戦争の犠牲者はもうたくさん。暴力で抑えようとする考えは見直すべきだ」と語るドクさんの言葉は限りなく重い。
この原稿を書いているちょうどその時、テレビからサンデープロジェクトの田原総一郎の言葉が聞こえている。ベトナム戦争で活躍し、いまでは小泉首相や外務官僚がひれ伏すようにあがめたてまつる米国軍人出身のアーミテージ元国防副長官とインタビューをしているのだ。
「憲法9条は、日米同盟にとって邪魔だと今でも考えている・・・」
平然と語るアーミテージとそれを何のコメントもなく聞き流す田原総一郎。立て続けに質問を浴びせかけるだけで自らの思想を決して語らない彼の態度に、私はいつも疑問を抱いている。
自民党森派(清和政策研究会)の政治資金疑惑
地方紙には驚くようなスクープを時々見かけることがある。
26日に講演で山梨県甲府市を訪れた。甲府駅で買い求めた26日付の山梨日日新聞の2面に、大きな見出しで自民党森派(清和政策研究会)が政治資金収支報告書に実態のない繰越金を数年にわたり記載していたこと、小泉首相も森派会長当時にこの事実を認識し、改善を指示していたという記事が出ていた。共同通信の取材に関係者が証言したというのだ。
森派や飯島総理秘書官は疑惑を否定していると言う。しかしもしこれが事実に反する報道であれば訴えてでも疑惑を晴らすべき重大な記事だ。それをしないということは限りなく疑惑が深いということであろう。
おりしも日歯連の裏金疑惑が橋本派を窮地に陥れている。野党の国会証人喚問を頑なに拒否してうやむやに終わらせようとする自民党。そんな中で小泉首相にまで疑惑が及べば小泉政権の進退問題につながる。
しかし不思議な事にこの山梨日日新聞の記事は他の大手新聞やテレビではまったく報道されない。まるで何もなかったかのように無視され続けている。ホリエモン騒動に関する連日の行き過ぎた報道は、内政、外交で行き詰った小泉政権の疑惑隠しではないのかと思える程だ。
ライブドア報道はもう十分だ
 なぜここまで執拗にライブドア問題が大きなニュースとして毎日報道され続けるのか。
たしかにホリエモンがニッポン放送株を大量に買い占めた時は皆が驚いた。フジテレビに言論の場を与えてもらっている自民党政治家やタカ派言論人がこぞって反撃したのは面白かった。金でなんでも買えるという堀江社長の発言に世論が反発したのもうなずける。しかしその程度にことである。もはやライブドアやニッポン放送、フジテレビなどがどういう争いをしようが、大部分の国民にとってどうでもいいことだ。興味本位の関心はあっても連日トップニュースで流すほどの重要性はない。
メディアが伝えるべきもっと重要なニュースがある。増税や年金問題、米軍再編問題、憲法改正問題、竹島問題、日中関係、米国産牛肉問題、拉致問題、北朝鮮の核問題、景気対策など、我々の生活に直結する重要な問題が山ほどある。メディアはこれらの問題を国民に知らせる責任がある。政府の動きを監視する義務がある。
私はこのライブドア騒動を大袈裟に伝える報道を見てこう考える。
ライブドア騒動に関心を持っているのは、当該会社の従業員を除けば、株を買って一儲けしようとし、株の値上がり、値下がりに一喜一憂している連中だけではないのか。一般の国民にとってはどちらが勝とうが負けようが、どちらが買収しようがされようが、どうでもいいことではないか。
メディアの公共性だとかインターネットとメディアの融合であるとかなどということも一般国民にはどうでもいいことだ。良い番組が提供されればよい。堀江氏が大きなことを言ってもいいではないか。やらしてみればいいではないか。堀江がおもしろい番組を提供できなければ国民がそっぽを向くだけだ。
堀江氏を批判する側が、メディアの公共性やメディアの使命を強調するのもお門違いだ。彼らがこれまでどんな良い番組を流してきたと言うのだ。視聴率稼ぎの娯楽番組を氾濫させ、政府の都合の悪いニュースを自主規制してきたのが今のメディアではないのか。
3月27日の東京新聞に中北徹東洋大教授が同様のコメントを寄せていた。
「フジテレビ側は『放送の公共性』を持ち出し、あたかも放送法三条の趣旨に乗っ取り品行方正なバランスのとれた番組を提供しているかのような物言いをしているが、どう探しても公共性とはおこがましいタレントの身内話に終始するバラエテイ番組ばかり放映している。筆者は一週間フジテレビを見なくても少しも困らない」
堀江氏の考え方、やり方が気にくわないといって、番組をボイコットすると公言しているタレントや劇作家などもどうかと思う。メディアに取り上げられて法外なギャラを稼いでいるのは彼らではないか。
考えて見れば一番強いのは我々消費者だ。視聴者だ。みずから働いて手にしたお金で物を買う消費者なのだ。ライブドアもフジテレビもタレントも、消費者にそっぽを向かれたらおしまいだ。政治家だって我々が選ぶのだ。小泉首相だって支持率が頼みだ。我々消費者はもっと自信を持とう。意見を言おう。
我々が関心を持たなくなるとメディアも追うことをやめるであろう。メディアに踊らされるのではなく、メディアが我々の関心にあわせて取材する、そういう状況に世の中を変えて生きたいと思う。
コメント0件244

コメントはこちら

*
*
* (公開されません)

Return Top