天木直人の公式ブログ

【バックナンバー】2005-11-12

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ニュースは政治的につくられる
  小泉改造内閣が終わってからというもの、政治ニュースがまったくつまらなくなった。それと対照的に社会ニュースや芸能ニュースに、より多くの時間が使われるようになった。
  もちろん大きな事件や話題性のある事件が起こったら、メディアはこぞってそのニュースに殺到し政治ニュースを取り上げる時間は減る。テロがおこったり、タレントの不幸な病死などがあれば一時的関心が集中する。それにもかかわらず、一般的に言って小泉首相がらみのニュースが少なくなってきたことは間違いない。
  郵政民営化法案が成立する前の政治報道とそれにつづく小泉圧勝、小泉刺客、小泉チルドレンに関する異常なまでの取り上げ方、小泉組閣の人選と首相後継者選びに関する各社、各政治評論家のうんざりするような同じようなコメントが、さんざん流された後、今ではもはや小泉首相を中心とした政治記事は種がつきた感がする。郵政民営化などといっても、読者、視聴者は何の関心も示さなくなった。改革、改革と叫んでも、郵政民営化の後の改革については、何を焦点に絞って、どう改革するのか、メディアは途方に暮れている。米軍再編や沖縄問題などは、我々の暮らしに極めて重要な問題が目の前迫っているというのに、どのメディアも小泉劇場の時のように取り上げない、騒がない。  これは一体何を意味するのだろうか?
  ずばり小泉時代が終わりつつあるということだ。小泉パフォーマンス報道に終始して小泉政権を助けてきたメディアは、小泉首相の任期が終わりに近づいた今、もはや小泉首相を支える必要もなくなり、今更小泉首相の宣伝記事を書いていれば新聞が売れ、視聴率が上がるという時代は終わりつつあると感じ始めたのだ。
  それでもまだメディアは、杉村タイゾーなどというふざけた若造を執拗にメディアに登場させて、小泉自民党の人気取り絡みのニュースを作り出そうとしているが、やがて読者、視聴者の反発をくらってやめることになろう。
  まもなく迎えるブッシュ大統領の訪日で再び馬鹿騒ぎ報道をし、小泉・ブッシュ関係の緊密さを持ち上げる記事をメディアは書くことになろう。しかしその後は、小泉首相を持ち上げるニュースはもっとなくなるであろう。それどころか政治ニュースは小泉失政のつけがどっと押し寄せるもの後ろ向きの記事ばかりになりとなる。だからといって、まだ権力を振りかざす小泉首相の批判記事は書けない。
  ニュースがつまらなくなるゆえんである。
  少しぐらい世のために汗をかいたらどうか
  来年9月の任期切れを前に、早々と小泉首相は「自らの任期延長は考えていない」と宣言した。この発言を行った当時の小泉首相の本心がどこにあったかは知る由もないが、今となっては小泉首相はその言葉にとらわれて本気でやめざるを得ない状況に傾きつつある。
  後継者がいないとか、国民的支持率が高いといった理由で、自民党や小泉チルドレンは、「それでも延長がありうる」と本気で考える向きもある。私も、あれだけ権力に取りつかれ世論の支持率を得ることに汲々としてきた小泉首相が、そう簡単に辞めるはずはないと思ってきた。ところが11日の各紙で報道されている次の小泉首相の言葉を聴くと、彼の任期延長は考えられなくなってきた。小泉首相は自民党の中川秀直政調会長らとの会食でこう言ったという。
 「自民党総裁の任期を延長した中曽根さんの気持ちはわからない。私はもう、辞めた後のことを考えている」
  ここまで言っておいて、「もう少しやりたい」と言い出すことはあるまい。むしろ彼はおそらくブッシュ大統領と同じく、首相をはやく辞めたい心境なのかもしれない。そう思うようになった。
  望外の総選挙圧勝と郵政民営化法案の成立を成し遂げた彼には、もはややるべきことはない。あとはこれまでの失政のつけを他の政治家に押し付けて、自分だけは人気の高いうちに惜しまれて去る、これが一番自分のために最善だと思い始めたのではないか。お得意の詭弁、強弁を繰り返す気性は変わらないだろうが、もはやこれまでと違い攻めるよりは守りに入ったのである。
  彼のように、真の国家観や政策構想のない政治屋には、困難な問題を自らの手で解決しようという覚悟も情熱もない。だから郵政民営化法案の成立という、改革まがいの個人的目標を達成した時点で、急速にやる気をなくして当然である。官僚相手の本当の改革はこれからだというのに、改革の本丸は成し遂げたと強調し、後は後継者の仕事であると投げ出そうとしているのである。
 それにしてもである。引退後に「やりたいことは決めている」と言い放った言葉を、私は執拗に記憶にとどめることにする。彼が「首相を辞めてからやりたい事」とは何か。オペラや音楽三昧の生活を送ることか。林真理子などに代表されるお友達と楽しく飲み食いを重ねることか。それともハマコーや塩川のようにテレビに出まくって人気者気取りの生活を続けようと目論んでいるのか。
 もしそうだとしたら、小泉という人間はどこまでも自分のことしか考えないつまらない人間であるということだ。いやしくもここまで権力を乱用して好き勝手をしてきたのだ。人生の最後ぐらいは世のため人のために、少しでも自己犠牲を払ったらどうか。やりたい事を我慢してイラクやパレスチナを訪れ、自らの判断が間違っていたことを実感したらどうか。米国を支持した自分が間違っていたと彼らに詫びたらどうか。
 私は引退後の小泉首相の言動を、いまから楽しみにしている。
 どこまで本気なのか地元の反対
 在米再編の中間報告に対する地元の反発が強いという。11月10日の日経新聞によれば、12都道府県、43市町村の関係55自治体すべてが反対しているという。それはそうだろう。米軍基地の移転は周辺住民の生活を激変させる。政府に協力的な稲嶺沖縄県知事や松沢神奈川県知事らも、住民の気持ちを慮って米軍再編反対の立場を政府に伝えざるを得ないのだ。
 しかしその一方で政府は、そのような反対の声をどこ吹く風のごとく、かれらの批判をよそに中間報告の合意を閣議決定した。一方の米国政府は、すでに合意ずみであり、これを実施するのが日本政府側の責任である、と変更の余地が無いことを強調している。
 自治体の首相はどこまで本気で日本政府に反対を貫く覚悟があるのか。地域振興策という金をばら撒かれることと引き換えに妥協することにならないのか。
 一方の住民は、どこまで本気で反対の意思を貫くつもりか。リコールの権利を使ってまでして、首長に基地受け入れ反対を迫っていくのか。
 それにしてもメディアの取り上げ方に熱意が感じられない。住民の反対運動が一向に全国的なうねりとして広がる様子がない。住民とともに反対の先頭に立つべき野党党首たちの姿が見えてこない。不思議なあきらめムードが漂っている。
 ヨルダン同時自爆テロに思う
 あらゆるテロがそうであるように、9日に起こったヨルダンの同時自爆テロも誠に痛ましい事件である。無防備な結婚披露宴を狙った無差別殺戮の手段や、犠牲者が罪のない市民であったことなどか、らヨルダン国民からも、犯行を認めた「聖戦アルカイーダ組織」に対する怒りが高まっているという。
 米国、イスラエル政府や、米国に膝を屈した親米アラブ諸国の政府が自爆テロを批判するのは当然である。しかしアラブの市民までもが自爆テロを批判し始めたのである。
 そして、今回のヨルダンでの同時自爆テロに関するメディアの報道振りを見ていると、殊更にヨルダン住民の自爆テロに対する怒りが強調されているような印象を私は持つ。あたかもザルカウイ容疑者はアラブ市民の敵であるといわんばかりだ。
 しかし、それにもかかわらず、反米自爆攻撃は収まることはないであろう。何故ならばこれら自爆抵抗を支えているのもまたアラブの市民であるからだ。無差別自爆テロを憎むアラブ市民と、米国やイスラエルの国家的テロの犠牲になり、恨みと絶望しかないアラブ人との戦いになりつつあるのだ。イラク攻撃を続ける米国に対し、エジプトのムバラク大統領は、「一人のオサマ・ビン・ラデンを殺しても、100人のオサマ・ビン・ラデンが生まれることになる」という趣旨の発言をかつて行ったことがある。彼らの自爆テロをいかなる意味でも容認できないとしても、自らの命と引き換えに恨みを晴らそうとするアラブ市民を、力ずくで押さえ込む権利はアラブ市民にない。
 問題はそのような悲惨な状況にアラブ市民を追いやった米国政権の卑劣さである。自らは危険から程遠い状況に身を隠しておきながら、アラブ人を憎しみあい、対立的な状況に追いやる。犠牲になるのはいつも無辜の市民たちである。
 メディアの報道の裏に隠された米国の不正義を見逃してはならない。
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