天木直人の公式ブログ

京都で一人考える

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京都でひとり考える
  連休の真っ只中である。私はその連休を京都で一人過ごしている。
  京都生まれで、京都そだちの母が、人生で一度だけ自己主張した事があった。京都に家を建ててくれと父にせがんだ事だ。無理をして親戚から土地を借り、父の退職金を前借して家を建てた。もう50年近くも前の話である。
  新聞記者であった父は出世から程遠く、その一生を殆ど地方記者で過ごした。そんな父に嫁いだ母は何かと口実をつけて京都に帰りたがった。幼い時に両親が離婚した母は、母親に引き取られて育った。まもなく母親が交通事故で急死する。その後は祖父の手で、そして祖父が死んだ後は叔父の家に引き取られて育った。だから京都に帰ってみても落ち着ける場所はないのであるが、それでも幼い子供を引き連れて夜汽車を乗り継いでよく京都に帰った。京都駅が近づいた時、もうすぐ京都に着くと言って喜んでいた母の姿を幼心に覚えている。
  子供が家を離れ、父が他界した後も、母はその家を決して離れようとはしなかった。その母も2年前88歳で他界した。父が25年ほど前に亡くなった時、母は家の裏手にあるお寺に墓を立てて父を埋葬した。その墓に、生前の母の言葉通り、私は母を埋葬した。今は空き家になったその家を、私は掃除と墓参りを兼ねて、一人で時々訪れることにしている。今回もそういう理由で京都に来ているのだ。
  昨日29日は春の天皇賞の日だった。好天に誘われて淀の競馬場まで足が向いた。競馬が好きだというわけではない。趣味の無かった父は定年後は毎週のように競馬に熱中していた。そんな父をふと思い出したのだ。好天に恵まれた競馬場は家族づれも多かった。若い男女の姿も目立った。様々な人が一瞬のロマンを求めて来ているのだ。平和があるからこそ競馬も楽しめる、そう考えた後で、すっかり平和主義者が板についてしまった今の自分に一人で苦笑してしまった。
  有望馬ばかりを組み合わせて6枚、都合6千円買ったのだが、二着に穴馬が突っ込んできたために予想は見事に外れてしまった。しかし目の前を全力疾走で駆け抜ける馬たちを見た私はそれだけで満足だった。凄まじい迫力で走る馬たちは感動的であるとともに何故か悲しい。人間もまたそうなのだ。どんな人生であれ、人がそれを全力で生きる時、それは等しく美しい。そして悲しい。その一方で、嘘のあるごまかしの人生は、たとえそれが世俗的な成功に恵まれ得意げであっても、醜悪である。
  その後私は三条京阪を経由して嵐山に向かった。母が好んだ場所だ。着いた時は既に夕暮れにさしかかっていた。渡月橋から眺める景色は何時見てもいい。そこから嵯峨野に向けて歩く。私は嵯峨野路に死の臭いを感じずにはいられない。死を怖れるのではない。死と向かい合いながら生を全力で生き抜ける、そのことの重要性に気づかされる場所なのだ。
  自然と悠久の歴史の中に身を置くとき、毎日ブログを書いて権力者を批判している事がつまらなく思えてくる。批判するだけでは気が滅入るだけではないか。そういう問いかけに対する私の答えを、次回のブログで明らかにしたい。
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