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人の死を考える

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 人の死を考える
 癌との闘病を告白し、自らの寿命を知りながら最後まで政治活動を続けた山本孝史という国会議員が逝去した。
 おりしも薬害肝炎訴訟が政治決着した。薬害肝炎訴訟の最大の問題は、致死にいたる薬害が放置されてきたという事だ。「もっと生きたい」といいながら死んでいった被害者の女性が自ら撮影したビデオがテレビで放映された事があった。それを見た人たちは間違いなく政府の無責任さに怒りを覚えたに違いない。
 人は死に向かい合う時、どういう思いを抱くであろうか。この問いを自問する時に、私は決まって思い出す文章がある。それは学生時代に読んだ芥川賞受賞作「されど われらが日々」(柴田翔著)の中の次の言葉だ。主人公が、見合い相手の叔父さんらしき副社長について語るくだりである。最近胃の調子が悪いとぼやく副社長に、そのお嬢さんが冗談交じりに、「おじさま、近頃、よくそんなことおっしゃるわね。胃癌よ、きっと」、と冗談交じりに語りかける。
  それは、屈託ない明るい表情で、まったくの冗談交じりに話しかけた言葉だった。しかし、それまで上機嫌だったその副社長はその言葉に表情を一変させて、「馬鹿なことをいうな!」と怒ってその場を去っていったのだ。その光景を見た主人公の言葉である。
   ・・・それにしても、自分の心に陰画のように焼きつけられた副社長のあまりに暗い表情を反芻していると、人間の幸福とは一体何だろうかという疑いが、次第に心の中に拡がってくるのを、どうしようもありませんでした。自分の死を想った時、あれほど暗い表情をしなければならないとしたら、人間の生きて、持っている幸福とは、一体何だろうかという疑いです・・・副社長は、今、この上ない幸福な境遇にあるはずです・・・人生の前半を官界で過ごし、戦後実業界に移り(実力者となる)・・・家庭的幸福という点は、他人のうかがい知りうるものではありませんが、社会人としては、これ以上望むべくもない高い地位と、充分な報酬と、将来の仕事に恵まれているのです。そうした副社長が、なお、自らの死を想った時、あれほど苦しげに淋しげな表情を浮かべなければならないとすれば、地位や報酬や仕事とは、人間にとって一体何なのだろうか。そう、ぼくには思えた・・・
  学生運動に興味がなかった私は、左翼運動にのめりこんだ若者の葛藤を描いた柴田翔の「されどわれらが日々」の内容に、ピンとくるところがなく、その小説のストーリーも殆ど思い出せない。しかし、このくだりだけはなぜか強烈に印象に残っているのだ。
 毎日新聞に連載されている野坂昭如の「七転び八起き」の事についてはかつてこのブログで書いた。人生の終章をリハビリに費やしている野坂の文章には、かつての氏のぎらぎらした生き方を超越したすがすがしさを感じる。その12月24日の連載にこういうくだりがある。
 ・・・こと病気においてのみ、人間は平等である。死を前にして人間に上下はない。人間は所詮自然の一部に過ぎない・・・
 
  こういって彼は、半日もかけて待ち続けた大病院の診療が、わずか一分で終わってしまう現状をなげき、「それでも都市部は恵まれている。地方の医師不足は深刻だと聞く」と、この国の医療状況を憂う。
 「死を前にして人間に上下はない」
  本当だろうか。私はその日の午後、東京都内で開かれたフォトジャーナリスト土井敏邦の「パレスチナ記録の会」の報告会に出席し、彼がガザから収録してきた最新の映像を見てきた。その中で武装抵抗組織ハマスに参加した14歳の少年の語る姿があった。「家族から別れる事はもちろんつらい。しかし殉教者として死んで行く事におそれも、ためらいもない」と語る彼の生は、イスラエルに弾圧されたまま絶望的な生を生きるパレスチナ人にとっては、紛れもない現実なのだ。それ以外の生は彼にはない。
  栄華を極めて一日も長く生き永らえたいと思う人間もいれば、絶望の中に死と隣りあわせで生きている人間もいる。「人間は死んでしまえば所詮自然の一部」に過ぎない、それは確かに真実かもしれない。しかし、すくなくとも生きている人間の生には、天と地ほどの違いがある。
  それを不条理だと考えて、われわれは少しでも正義の実現のために尽くそうと考えるのか、不条理こそ現実だと割り切って目をつむり、自分の幸福な生の実現に邁進するのか、どちらが正しいなどと断言できないところが悩ましく、悲しい。
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