天木直人の公式ブログ

日本の対アジア外交の限界

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 米国発の行過ぎた金融資本主義が破綻しつつある現在において、メディアにあらわれる論調には、米国一辺倒の日本のありかたに疑義を呈するものが目につくようになった。
 しかし、私はそのような論調が日本において主流になっていくとは思わない。
 まして日本の指導者たちが、そのような政策に舵を切るとはとても思えない。
 それほどまでに日本の外交姿勢は対米一辺倒に終始してきたのだ。
 そしてそれを日本国民も、積極的にせよ、消極的にせよ、支持してきたのだ。
 しかし、もしも、という過程の話をすれば、の話である。
 もしも日本が、世界最大の援助国を誇っていた80年代のはじめ頃に、本気になってアジア諸国の経済、技術の発展に貢献していたのならば、そして、アジア諸国の経済、技術力の発展は日本の利益にもなるという認識の下に、本気になってアジア諸国民の生活の向上に貢献し、アジア諸国の国民から尊敬と感謝をもって受け入れられるような国となっていたならば、どうだったか。
  アジア経済圏の経済力を背景にして、危機の痛みを最小限におさえる事ができたかもしれない。
  アジア円経済圏や世銀・IMF体制に代るあらたな経済体制の構築に、踏み出す可能性を考えること ができたかもしれない。
  しかし現実の日本のアジア外交ははそうではなかった。
  アジア重視という言葉とは裏腹に、日本のアジア外交もまた対米従属外交の前に、アジア諸国を裏 切ってきた外交でもあったのだ。
  この事を小倉和夫国際交流基金理事長が10月20日の朝日新聞で次のように述べていた。
 「 ・・・明治時代から1930年代までの日本外交では富国強兵のために帝国主義諸国との協調が重んじられ、アジアの中での強国の地位を追いかけ過ぎた結果、アジアの民衆運動に背を向けたのみならず、英米の主導する国際秩序の変更を軍事力で追求した結果、アジアの民衆に被害と屈辱を与え、国際社会から糾弾された・・・
  第二次大戦後、日本は、アメリカの世界戦略に協力する形で、アジアと向かい合った。日本外交はアジアの民衆よりも、相手国政府の戦略とアメリカのアジア政策と連携した。
 アジアのいくつかの主要国が、非同盟主義や第三世界の経済論理を主張するとき・・・日本はいつも「西側」の陣営からものを見ていた。
 アジアの国の発展が軌道にのり、何人かの東南アジアの政治指導者がアジア的価値に基づく経済発展と政治的成熟への論理を持ち出したとき、日本の政策当局は白い目を向けた。国民の大多数も、アジアよりは、アメリカを向いていた。
 近代において、日本の国民とアジアの民衆との間に、真の連帯意識が生まれたことは、一部の人々を除いて存在しなかったといっても過言ではない・・・」
 小倉和夫氏は外務省の幹部職を歴任し、国際交流基金理事長に天下った外務官僚である。
 その小倉氏は、現職の時にこのような意見を公言し、対米一辺倒の外交を変えようとした事はなかった。
 その小倉氏が外務省OBとなった今、このような事を言ってみても、外務省の対米従属外交は微動だにしないであろう。そこに矛盾と限界を見る思いだ。
 
 
  
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