天木直人の公式ブログ

やしきたかじんの「そこまで言って委員会」に出演して田母神前航空幕僚長らと闘論してきました

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 このところブログで政局がらみの事を書いていない。
 というよりも、あまりの馬鹿馬鹿しさに、書く気がしなくなった。
 解散・総選挙とか政権交代などという事は、もはやどうでもいいことのように思えてきた。
 所詮は、政治屋や、政治屋になりたいと思う、権力や利権に物ほしげな連中の間で繰り広げられている茶番ではないのか。
 そういう連中が、官僚と、つかず、はなれず結託し、国民の税金と司法、検察、行政という国家権力をほしいままにしている。
 そう考えると、腹立たしく、だからこそ政治から目が離せないのであるが、最近はそれさえも克服しつつある。
 人は正しく、強く、生きていかなければならない。
 自分自身が、そう生き生きていくことを目指す、それでいいのではないのか。
 この世の中には、およそ政治とは無縁の世界で、そのように正しく生きている人が無数にいる事を私は知っている。
 そこに希望を見る。
 11月29日の読売新聞に、久しぶりに心が震えるほどの感動的な記事に遭遇した。
 「時の余白に」というコラムだ。
 編集委員の芥川喜好という人が、アスベスト問題について書いていた。
 その要旨はこういう事だ。
  ・・・新聞社の図書室で調べ物をしていた芥川氏は一冊の本を見つけ懐かしく手に取る。それは彼が文化担当の若かりし頃に新刊紹介で著者に取材した事のある「労働基準監督官日記」(日本評論社)という本である。
  その本は、戦後誕生した労働基準監督官の一期生だった井上浩という人の、労働現場の報告である。
  それは芥川氏に言わせれば、成長を謳うこの国の経済政策の裏で、戦前と変わらぬ過酷な労働と低賃金にあえぐ『民』の現実をつぶさに綴った、静かな憤りの書である。
  官の立場と民の現実とのはざまで苦悩する井上浩という一役人の情熱に引かれて若かりし芥川は取材をした。そんな昔の事を芥川氏すっかり忘れていた。
  偶然に見つけたこの本のページをめくるうちに、芥川はあのアスベスト問題の箇所を見つけて「脳天を打たれたような衝撃」に襲われる。
  その箇所の日記の日付は昭和51年12月。
  32年も前に、行政の現場でアスベストの危険性を訴え、みずから患者を探し出し、救済に奔走した役人がいた、その役人こそ井上浩さんであった。
  アスベストについては、36年前に世界保健機構が発がん性を指摘し、欧米を中心に早々と厳しい規制が敷かれたのに、「民」への真の愛情と想像力を欠いているこの国の行政は手を打たなかった。
  そんな行政の最前線で、心を砕いてすばやく動いていた「官」がいた事は、いまさらながら感銘的であると芥川氏は書く。
  そして芥川氏は取材から29年経った今、井上さんを埼玉県に再訪する。
  アスベスト問題は、行田労働基準署長を最後に退官する間際の井上さんの最後の仕事だったという。
  下請け工場に肺がん死が出ていた事を突き止め、半年かけて調査報告書をまとめ、それを埼玉労働基準局に提出して対策を求め、後任の署長と会社の労組幹部に引き継いだ上で、井上さんは退職した。
  しかし、後事を託した人たちは動かず、井上さんの仕事が内部で生かせられる事はなかった。
 予測できたこの危険を、なぜ避けられなかったのか。それは人の命が経済活動よりも絶対に優先だという考え方が日本にはなかったからだ。そして、隠蔽という病がこの国を蝕んでいたからだ。
 芥川氏はその記事をこう締めくくる。
 アスベストの製造、輸入、使用等は、曲折の末、2年前に全面禁止になりました。しかし潜伏期間30年ー40年の病気の方はこれからが本番です。「だからこそすべての情報を開示し、一人一人を救わなければならないのです」と、退官後も労働問題に携わる井上さんは言います。
 アスベスト問題は、現代日本に生きている以上、ひとごとではない。その事を戦慄とともに語られている書に、「アスベスト禍」(粟野仁雄著・集英社新書)という書があります。アスベスト被害の現実、国家的不作為の実態など、アスベスト問題を徹底的に検証したこの書は自分の身の安全を守るためにも必読の書です・・・
 労働基準監督官であった井上浩さんの正しい生き方に感服する。
 その井上さんを取材し、それを記事にして称える芥川編集委員のジャーナリスト魂に感服する。
 それにしても、行政は、その後アスベスト対策に万全を期しているのだろうか。
 アスベストの製造、輸入、使用は確かに禁止されたが、今度急増してくるであろう被害者の救済は万全か。
 アスベストを使用して作られた建造物の解体対策は万全か。
 これは官僚としての私の勘であるが、あの耐震偽装問題の時と同じように、問題が表面化しない限り
 官は適切な対策を講じていないのではないか。
 被害者が次々に出てきて大騒ぎするのではないか。
 ドサクサにまぎれてアスベスト建築物を解体している事が発覚して大きな社会問題になるのではないか。
 これ以上官の不作為、隠蔽を見たくは無い。
 官もまた、正しく、強くあらねばならない。
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やしきたかじんの「そこまで言って委員会」に出演して田母神前航空幕僚長らと闘論してきました

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 毎週日曜日の午後、関西の読売テレビでやしきたかじんの「そこまで言って委員会」という番組がある。
 以前二度ほど出演したことがあったが、テレビ映りが悪いのか、しゃべりがへたくそなのか、まもなく出演の声がかからなくなった。
 それが突然の出演依頼だ。
 どういう風の吹き回しかと思ったら、収録日が11月28日(金)であったため、小沢、麻生党首討論とぶつかり護憲議員が軒並み出演を断ってきた、そのピッチヒッターだと聞かされた。
 ばからしくなって断ろうと思ったが、あの田母神前航空幕僚長が出てくると言う。本邦初のテレビ出演をするという。それを聞かされ、興味をそそられて、出演に応じた。
 結論から言えば出演して正解だった。じつに面白い闘論になった。
 田母神氏は不快な人ではなかった。いい人であった。正直で、単純で、そして、失礼な言い方をさせてもらえば、やはり軽率な人である。
 しかし、これはテレビでも発言した事だけれど、逆説的に言えば、我々は田母神氏に感謝しなければならない。
 なぜならば、この際、あの戦争はなんであったのかという事を、国民一人一人がよく考えなければならない、その切っ掛けを作ってくれたからだ。
 闘論の模様は11月30日(日)午後の関西読売テレビで見ていただきたい(東京、北関東を除いては全国ネットワークらしい。東京は検閲が厳しいからということらしい)。
 このブログでは二点に絞ってこの問題に関する私の意見を書いてみたい。
 ちなみに、新幹線を乗り繋いで栃木ー大阪を日帰り往復した私は深夜に帰宅したのであったが、テレビのスイッチをひねったら偶然にもテレビ朝日の田原総一郎「朝から生テレビ」で、やはり田母神論文の
闘論をやっているところであった。
 その模様を聞いて、次に書く私の思いは、更に固まった。
 まず第一点は歴史認識とは個人の意見ではないという事だ。
 私は今後どんどんこの問題が国民の前で論議されるほうがいいと思っている。衆院でも田母神氏を参考人として招致する動きがあるらしいが、どんどんやればいい。そして田母神氏に自由に喋らせ、それをテレビですべて放映したほうがいい。彼も喋りたくて仕方がないのだ。それで皆がハピーになるのだ。
 喋れば喋るほど、皆がだんだん辟易してくる。弁護できなくなるのだ。
 それは「朝生」でもそうだった。田母神論文を弁護する側にいた皇国史観の立場に立つ論者たちの立場がどんどんと不利になっていくことが誰も目にもわかった。
 それは当然である。歴史認識とは都合のいい記録や所見を伝聞的に繋ぎあわせてできるものではない。
 誰も知らないような瑣末な発言や記録を殊更強調してみたところで、皆を説得できる史実にはならない。歴史認識をめぐる論争は、特殊な知識の競い合いではないのだ。
 個人が知りうる知識は所詮限られている。おまけにすべての情報が公表されているわけではない。情報隠蔽や操作もある。だから歴史認識というものは、古今東西の多くの学者や専門家が膨大な時間とエネルギーをかけて検証した業績を総合的に吟味し、大勢とされる意見に従う、それが歴史認識なのだ。
 田母神氏の意見は意見として、そしてその田母神氏の意見を擁護する人たちの意見もまた、彼らの意見として主張するのは勝手であるが、今の時点における歴史認識として皆が共有するものにはなり得ない。それは彼らが決める事ではない。いくら議論しても勝ち目はない。
 それよりも重要な事は、歴史は国際政治の所産であるという事実である。
 日本はポツダム宣言を受け入れて敗戦を認めたのだ。
 勝者が敗者を裁いた東京裁判の判決を受け入れて、A級戦犯を認めたのだ。
 その事によって日本は国体を護持し、戦後の国際社会に復帰し、今日の日本があるのだ。
 日本だけが悪くはなかった、米国にだまされた、などという事は部分的にはその通りであろう。
 しかし、それが如何に悔しくても、国際公約で受け入れた日本の責任を否定しようとすればどういう事になるか。
 それは国際孤立である。日本の国益を決定的に損なう事になる。
 酒場などで憂さ晴らしをするのは勝手だが、国際社会に向かってそれを日本政府が言えると思うのか。
 もう一度米国と戦争するつもりなのか。
 そういう事なのである。
 二つ目に言いたい事は、なぜ田母神論文事件が起きた遠因としての政治の怠慢である。
 政治が歴史認識問題を曖昧にしてきたからこそ田母神論文に象徴される歴史発言問題がいつまでたっても後を絶たないのだ。
 実はたかじんのそこまで言って委員会でパネリストたちが最も激しく攻撃したのが、あの村山談話であった。
 つまり田母神論文を擁護できない代りに、そのはけ口として社会党党首の名前を冠した村山談話を諸悪の根源であると攻撃することになる。
 これまで、日中共同宣言をはじめいくつかの外交文書において歴史認識を示した事はあったが、閣議決定を経て発表されたあの村山談話こそ、政府の歴史認識を示す公式見解であった。
 その公式見解である村山談話が、そしてその後の歴代の首相が踏襲し続けてきた村山談話が、なぜ今でもここまで貶められるのか。
 それは保守政治家たちが、社会党の党首が首相であった時に作った談話であるから仕方がない、とあの談話を内心で認めていないからだ。
 一方の村山元総理は、「自分だからできたのじゃ」と、自民党に担ぎ出された負い目と引き換えに、無理をして評価しているからだ。
 あの談話は外務官僚の作文でできた。それを政治の駆け引きでなんとか村山談話に纏め上げたに過ぎないものだった。
 敢えて政府統一見解という事なく社会党党首の名前をつけて、それ以降の自民党首相が踏襲していることこそ、自民党の責任転嫁だ。自民党もまた村山談話を貶めているのだ。
 そしてそこまで貶められても、村山元首相本人も、護憲政党も、怒る事はない。
 つまり自民党も、民主党も、護憲政党も、要するにこの国の政治そのものが、歴史認識から逃げているのだ。
 だから田母神論文事件が起きるのだ。
 田母神論文事件が起きても、迅速かつ適切な対応が出来ないのだ。
 たかじんのそこまで言って委員会においては政治の怠慢が繰り返し攻撃されていた。
 そしてその事については私も他の右翼パネリストと同感だ。
 歴史認識とは何の関係もないことであるが、テレビ収録とちょうどおなじ頃に行なわれていた麻生・小沢党首討論を後で知って、つくづくと思った。
 政権をあらそう二大政党の党首討論がこの体たらくである。
 堂々とした政策論争がまるでできていない。
 こんな政治で田母神論文問題を追及できるはずはない。
 解散・総選挙とか政権交代などという事以前の大問題がそこにある。
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