天木直人の公式ブログ

 晩年の母への深いまなざし

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 本当は、私は政治の事など、我々の人生のなかでは瑣末なことであると思っている。どうでもいい事であるとすら思う。
 我々ひとりひとりの人生において最も重要なことは、その人生を毎日どう生き続けるかと言う事だ。個人的な日常生活の繰り返しのなかで、我々は喜び、苦しみ、悲しみ、笑いながら生き続けている。
 嫌でも生きていかなくてはならない長く退屈な人生を、あるいは、つらく厳しい人生を、さらにまた、あっという間に過ぎ去ってしまういとおしい人生を、生き続ける。
 その過程で生まれては消えていく様々なドラマこそ、重要であり、感動的ではないのか。
 一週間ほど前の新聞で読んだ書評を今思い出している。
 萩原朔太郎の娘である作家の萩原葉子の死後、その波乱の人生を息子の萩原朔美が書いた「死んだら何を書いてもいいわ」(新潮社)という本が最近出版された。ノンフィクション作家である久田恵がその書評を書いていた。
 もはやその詳細は思いだせないのであるが、今でもはっきりよみがえる文章がある。
 それは、冷淡で親不孝な息子という位置に立った著者の朔美が、あれほど気丈で奔放だった母葉子が老いていく、その「弱い母」を見るのが嫌で、同居後は怒ってばかりいた、と悔やむ箇所である。
 自由かつ強く生きた母がついに動けなくなって、息子に同居を頼む。その時、小さな声で、「死んだら(私のことを)何を書いてもいいわ」と小声で繰り返したという。その最後の願いを叶えて書いた「冷たい」息子の文章に、久田は深くて優しいまなざしを感じ取るのだ。
 三年前に88歳で亡くなった私の母もそうだった。早くして夫と死別した母は、私と姉が独立した後は、夫にせがんで造らせた京都の家で長い間一人で暮らしていた。
 外務省に働きだして家を離れてからというもの、ほとんど母と顔を合わすことのなかった私は、5年前、外務省を突然解雇された後は母と同居して最後の日々を過ごそうと考えた。私は母の自慢の一人息子だった。
 その私もまた、朔美のように、気丈だった母がすっかり衰えているのを見るのがつらかった。苛立った。やがて、政治活動に忙しくなり面倒を見切れなくなったというのを自分自身への言い訳として、母を養護施設に入れてしまった。
 息子から離れた母は目に見えて弱くなり、楽しみにしていた桜の季節を目前にして肺炎で急逝した。 私は母親の死に目に会うことは出来なかった。
 主のいなくなって空き家のままとなった京都の家を、墓参りと清掃をかねて私は時々一人訪れる。今もそうだ。
 庭木を手入れし、積もった落ち葉を除き、新年を向かえる形だけの清掃をして再びその家を後にする。
 もしあの時、私が政治活動などのかかわらず、母と一緒に暮らしていたらどうだったのかと自問する。
 萩原朔美の著書は、親不孝だった冷たい自分を、思い出させてくれた。
 
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