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天木直人のメールマガジン 要旨 3月8日ー10日分

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 天木直人のメールマガジン 要旨 3月8日―10日分
  2009年3月8日発行 第0090号
  対極にある生き様
 発売中の週刊新潮3月12日号の冒頭に、「こちら、撃ち逃げ」というタイトルの一枚の見開きの写真を見つけた。 それは小泉元首相、作家林真理子、奥谷禮子人材会社ザ・アール社長が、TSUTAYA創業者の増田宗昭なる人物に見送られるような形で、京都のお茶屋から出てくる写真である。
 つたや創業者の事については知らないが、後の三人は私がもっとも嫌う人物だ。小泉元首相の事は書くまでもない。林真理子は、うまいものとか、人間の美醜とか、金銭的な話とか、男女間の駆け引きとか、ブランド絶賛とか、まともな人間ならはばかるような人間の欲望を臆面もなく書き続ける事によって世に出た女性作家だ。奥谷禮子は、自己責任論を繰り返し、大手企業の弁護役を担っているいま活躍中の「財界人」だ。人材派遣業を生業としている。三人とも私がもっとも嫌う生き様を送る人物である。
 その写真には次のような解説がつけられていた。
 「“不機嫌の会”に参加していたんです・・・小泉さんは京都好きで、東京からわざわざ足を伸ばすこともあります」(事情通)・・・元首相が宴に興じていた日は、彼に続く造反議員を出すまいと与野党幹部が躍起になっていた。まさにそのとき、どこ吹く風と、一人5万円は下らない祇園有数のお茶屋で約5時間、彼は“不機嫌”どころか、ゴキゲンだった。政界引退目前で、後は野となれ山となれ、ということか。
 これら三人は、今の日本の苦しみなど、およそ自分たちとは無関係と思って生きているに違いない。この世の中には彼らと同じ考えに立ち、彼らの仲間であったり、彼らの話をありがたく聞くような人たちが多数いるに違いない。 そのよしあしを言っているのではない。人の考え、価値観、生き様は、様々だ。私は、この三人の生き様の対極にある生き方を選ぶ。対極にある人たちの側に立つ。良くも悪くも、好きも嫌いも、それが私という人間だ。私の言動の源だ。
 2009年3月8日発行 第0091号
 覇権大国が手を結ぶ事の恐ろしさ
 核軍縮について米国とロシアが合意したという国際報道が、あたかも喜ばしいニュースのごとく3月8日の新聞紙上をにぎわしていた。しかし、米ロの関係が良好になれば世界は平和になるのか。世界の人々が幸せになれるのか。
  二大覇権大国である米ロが、覇権国家としての自国の国益を二の次にして、世界の国々や人類の平和と繁栄の為に譲歩し合うという事はありえない。たとえ核軍縮に関する合意が米ロの間で結ばれたとしても、それはお互いにとって国益を損なうものでは決してない。それどころかそれぞれの思惑による取引に過ぎない。
 3月8日の読売新聞はいみじくもヒラリー・クリントン米国務長官の共同声明発表記者会見での次の言葉を報じていた。
「米ロは大量破壊兵器の拡散を深く憂慮する。我々は、この大切な分野で世界をリードする責任がある」、
「(米ロ)両国はアフガニスタン、中東、イランについて協力を深めていく」
 これを要するに、米国は「テロとの戦い」という名のパレスチナ弾圧政策を最優先事項であると宣言し、「テロ」が核兵器を持つ事は絶対に許さない、そう米国は世界に宣言しているのだ。
 もしロシアが、パレスチナ問題を自国の国益にとって二の次と考え、米国の「テロとの戦い」に協力するかわりに、自国にとってより重要な見返りを米国から取り付けよう、その見返りが得られるなら米国に協力してもよい、と考えるようになったらどうか。 パレスチナのハマス弾圧やアフガンにおける反米武装組織の掃討作戦が、米ロの了解のもとに一気に進む事になる。非人道的な弾圧と殺戮が放置されることになる。それを誰も止められなくなる。要するに覇権国家が手を結べば、何でもできる事になる。これほど危険な事はない。
 覇権勢力が手を結ぶ事の恐さを我々は知らねばならない。そしてそれは国際政治においてだけの話ではない。国内政治もしかりだ。政官財支配、いやそれに加えてメディア、警察、検察、司法、が手を結んだ勢力に、小沢なき民主党が加わったらどうか。政界再編後の保守大連立政権を想像してみたらいい。 そこでは体制に反対する声は見事に弾圧、抹殺され、人権までもが拘束されるようになる。対米従属が固定され、憲法9条がかなぐり捨てられる。
 2009年3月9日発行 第0092号
 日米合作の例がまた一つ見つかった
 私は3月6日のメルマガ第0087号で、日米関係はことごとく日米合作でつくられてきたと書いた。その例がまた一つ明らかになった。
 3月8日の東京新聞にこのような記事があった。私は知らなかったのだが、1945年の東京大空襲による犠牲者の遺骨約10万5千柱は、戦後、関東大震災(1923年)の犠牲者が納骨されている震災記念堂に合葬される事になった。空襲犠牲者の遺族から「間借りだ」と批判されている、いわゆる「震災・戦災合葬」である。
 この合葬案は、これまでGHQが考えた案とされていた。ところが長志珠絵(おさ しずえ)・神戸市外国語大准教授(歴史学)がGHQの文書を研究した結果、それは日米合作の案であったというのだ。重要な事は、長准教授が語っている次の言葉だ。
 「GHQの文書から分かるのは、日米とも元兵士にくらべ、空襲被害者に対する関心がほとんどないことです・・・(合葬をめぐるGHQとの交渉の一方で)空襲犠牲者の遺骨の身元調査すらしなかったため、戦後補償や追悼問題などを解決する可能性が閉ざされた。占領軍とともに、日本政府も問題を隠蔽してきた・・・」。
 日米合作で生み出された追悼政策は、そのほかの政策と同様に、常に「日本国民のため」という視点が欠落している。それが問題なのである。
 2009年3月9日発行 第0093号
 かき消されようとしている小泉発言
 「郵政民営化には反対だった」。この麻生発言にぶち切れた小泉元首相は、「呆れて笑っちゃう」と踊り出た。3分の2の議席を獲得したのは俺が仕掛けた郵政改革選挙だ。それを定額給付金成立に使うことは許さない、といわんばかりの傲慢発言をした。
 しかし、その目論見は外れた。世論がそれに動かず、自民党内部に同調者が現れなかった。それを見て取った小泉元首相は、「私は辞めていく人間だから、政局の話はしないし、かかわらない」と言って退散した。
 良くぞ言ったものだ。みずから政局を仕掛けておいて、それが奏功しないと見るや脱兎の如く撤退する。 笑っちゃう発言が出たのが2月12日、政局の話はもうしない発言が出たのが3月2日。わずか20日足らずの茶番劇であった。小泉元首相の政治的影響力は、これで完全に終わった。
 ところがこの重大な政治ドラマをメディアはまともに取り上げない。小泉批判をまったく行なわない。小泉改革の誤りを追及しようとしない。小沢秘書逮捕劇などが飛び出してこの問題が今やまったく忘れさられようとしている。 そんな中で、そうは許さないとばかり強烈な小泉批判をしている記事を見つけた。リベラルタイム4月号で堤堯(つつみ・ぎょう)という元文芸春秋編集長なるジャーナリストが、「小泉に麻生を『笑っちゃう』資格があるのか」という記事を書いていた。
 リベラルタイムがどのような雑誌なのか、堤堯氏がどのような考えのジャーナリストか、私は知らない。しかしこの記事ほど強烈に小泉郵政改革の欺瞞を批判した記事を私は知らない。小沢民主党政権がめでたく、無事できたら、小沢民主党政権は、「国策操作」と「郵政改革」の真相を、なんとしてでも国民の前に明らかにしてもらいたい。そうならないように自民党と官僚、メディアなどは必至になって小沢民主党を攻めいる。いや、攻められているのは小沢民主党だけではない。真相を突き止めたいと考えている我々国民でもあるのだ。
 2009年3月10日発行 第0094号
 村上春樹「エルサレム賞」受賞に思うー後日談
 私は2月25日のメルマガ第0073号で、村上春樹が「エルサレム賞」を受賞した事について、残念に思うという趣旨の私見を述べた。 その後私は注意深く新聞や雑誌の評論を見てきたのであるが、そのすべてが村上氏の受賞を素直に喜んだり、壁と卵のスピーチを、文学的表現でイスラエル批判をしたと称えたりするものばかりであった。
 そんな中で、3月9日の朝日新聞「風」でカイロ発平田篤央の記事が目にとまった。彼は書いていた。
 ・・・講演後、会場では大きな拍手がわき起こった。歓声も上がった。その場にいた私も感銘を受けた。しかし、何か、もやもやが残った。あえてイスラエルに来て、文学的表現で批判する日本の作家。それを受け止めるイスラエル人。知的な緊張と交歓。 そこに紛争の一方の当事者であるパレスチナ人、アラブ人は不在である。あまりに大勢が殺されて、一人一人の人格が消えて「1300人」という数字に置き
換えられてしまうのと同じように・・・
 私が驚いたのはその後に続く平田氏の記事である。彼はアラブの文学者はいったいどんな気持ちでこの受賞を受けとめているのだろう、とした上で、2月23日付のアラブ圏紙アルハヤトに載っていたレバノンの作家・詩人であるアブド・ワジンの論評を紹介しているのだ。それはまさしく私が2月25日のブログで紹介したものだ。 天下の朝日新聞のカイロ特派員のよりも2週間早く、私はアラブ人の気持ちを読者に伝える事ができた。それを自慢したくてこのメルマガを書いた事を白状する。
 2009年3月10日発行 第0095号
 イスラエルを左右する極右政党党首リーバーマン
 2月10日にイスラエルで総選挙が行なわれた。日本の報道は、「和平派が後退し、強硬派が議席をのばした。その結果強硬派中心の連立政権が避けられない見通しとなった。パレスチナ和平交渉は後退せざるをえない」、というものばかりだ。
 しかし、現実はもっと酷い事が行なわれている。それを教えてくれたのがニューズウィーク(日本語版)2月25日号であった。
 今度の選挙の最大の勝者は極右政党「わが家イスラエル」のアビグドル・リーベルマン党首だ。120議席中15議席を獲得し(それまでは11議席)連立政権のキャスティングボートを握る存在になった。イスラエル政治の中心に浮上したのだ。
 ところがこのリーベルマンはとんでもない強硬派で、イスラエル国内にいるアラブ系国民を認めない男だという。因みにイスラエル国内には現在130万人のアラブ系国民がいる。これはイスラエル人口の20%にもあたる。彼らは1948年にイスラエルが建国された時に新国家イスラエルにとどまった約16万人の住民の子孫であり、れっきとしたイスラエル国民である。それにもかかわらず今日まであらゆる差別を受けてきた。
 リーベルマンはこの差別をさらに進め、パレスチナ自治区のヨルダン西岸に追放し、さもなければ市民権を剥奪するという事を主張しているという。しかもその考えを多くのイスラエル人が支持しているという。とんでもないアパルトヘイト(人種隔離)政策だ。
 当然アラブ系国民の反発は高まる。イスラエルにとっての最大の戦いは、パレスチナ強硬派ハマスでも、それを支援するレバノンのヒズボラやイランとの戦いもない。これからは自国内のアラブ系国民との戦いが始まることになる。
 2009年3月10日発行 第0096号
 イスラエル建国時の秘話
 これから書く情報が、反ユダヤ主義者の根拠のない扇動なのか、それとも歴史学者の間で共通に認識されている史実なのか、私は知らない。しかし私には驚きの記事であった。
 「タブーなきラジカル・スキャンダルマガジン」と銘打った月刊誌「紙の爆弾」という雑誌がある。「噂の真相」が休刊になった後に、それを受けつぐ形で国家権力の弾圧に抗して世の中の不正を暴き続けている雑誌である。
 その3月号に佐藤雅彦と名乗るジャーナリスト、翻訳家が、イスラエルがなぜパレスチナで「ホロコースト」を続けているのか、について書いていた。その中で佐藤氏はイスラエル建国時の秘話を次のように書いている。そこにユダヤ人のパレスチナ人虐殺の一つのヒントがある。
 ・・・シオニズム運動がすべてのユダヤ人から歓迎を受けたわけではない。欧州先進国に定住したユダヤ人の中には(現地に受け入れられ)社会的に成功した者も多かった。こうした同化ユダヤ人は、文明果てる世界の果てにざわざわ移住して開拓生活で人生をやり直そうとは思わなかった。(しかし)シオニストは、移住ユダヤ人と旧住民との摩擦が起きはじめると、これを解決するために、さらなる移住者増加でパレスチナ旧住民を圧倒する道を選んだ。ユダヤ人の中にはこの選択を批判する者も当然いた・・・そこで、(これはほとんど語られない事実だが)、パレスチナのユダヤ機関はナチス政府と秘密移送協定を結んで、ナチスがユダヤ人の「パレスチナ移住」を推し進める見返りとして、パレスチナのユダヤ入植者がドイツ製品を積極的に輸入する約束をした。この協定でドイツ在住ユダヤ人の2割にあたる5万人以上が、パレスチナに逃げ込まざるを得ない状況に追い込まれた・・・シオニズム運動の開祖ヘルツルがイスラエル建国の「父」、最大の金づるロスチャイルドが「母」だとすれば、少なくとも欧州ユダヤ人をパレスチナに追い払う最大の推進力となったヒトラーはイスラエル建国の「産婆」役を担ったことになる・・・筆者はナチスの人種差別政策を心から憎む。それゆえにナチスを利用した勢力の悪辣さを許すわけにはいかない・・・
 この佐藤氏の記事を読んだ時、私は米国にいたときのユダヤ系アメリカ人が私に言った言葉を思い出した。彼は私にこう言った。われわれは米国で快適な生活を送っている。米国こそが自分たちがもっとも安心して快適に暮らせる国である。いまさらイスラエルに行く必要はない。しかしイスラエルはユダヤ人の存在を世界に示す政治的意味を持つ国家だ。イスラエルに移住して危険な中でイスラエル国家を守っているユダヤ人には申し訳ない罪の意識がある。だからわれわれは彼らがどんな無茶な事を言っても全面的に支援する
 2009年3月10日発行 第0097号
 漆間官房副長官を更迭に追い込めないメディアの不甲斐なさ
 北朝鮮とのミサイル戦争が起こりかねない緊急事態にもかかわらず、この国の政治は尋常ならざる権力闘争ですっかり麻痺している。メディアもまたその渦中に巻き込まれて右往左往だ。おどろくべき機能喪失状況が日本を覆っている。
 国策捜査があったかなかったか、などという馬鹿げた問題が議論されているが、次期首相が確実視されている政治家の政治生命を一瞬にして奪うような捜査そのものが国策捜査なのだ。
 考えてみるがいい。もし検察官僚が官邸に何の連絡もせずに小沢の秘書を逮捕したとしよう。それこそ大問題だ。官僚の分限を超える越権行為である。そんなことはあり得ない。
 だから今回の小沢秘書逮捕は、当然のことながら東京地検幹部から事前に官邸になんらかの形で伝わっている。そして官邸側がそれに対しどのような指示をしようが、しまいが、官邸が知った時点でもはや国策捜査なのである。
 ところが更に驚くべき事は、漆間官房副長官やそれをかばう麻生首相が、そんな発言はしていない、記者の聞き間違いだ、などと責任逃れをしたことだ。さすがに嘘をついては責任問題になるとばかり、記憶にないとか、認識の違いだなどと、直ちに言い直しているが、言っている事は同じだ。記者の受け止め方と自分が言ったこととは違う、記者が不正確に報道したのだ、と言い張っているのである。記憶にないといいながら、言っていないと言い張っているのだ。
 情けないのは記者たちである。20人ほどの記者は雁首揃えて皆聞いていたはずだ。だからこそ同じような記事を一斉に流したのではないのか。それが首相、官房副長官の保身の言い逃れで否定されたのだ。お前らの聞き間違いだ、不正確なことを記事にしたからこんな騒ぎになったのだと居直られているのだ。
 それに激怒しないような記者は筆を折った方がほうがいい。国民に真実を知らせるという記者魂を捨て去った骨抜き記者たちということだ。権力に従順な御用記者たちということだ。 一昔前ならメディアは官房副長官の首を即座にとったものだ。首相の責任までも追及したに違いない。
 もしこのまま漆間発言がうやむやのうちに不問に付され、漆間巌が大きな顔をしてそのまま官房副長官に居座るような事になれば、もはや国民はメディアには何も期待できないという事だ。メディアは名誉にかけて漆間官房副長官の首をとらなければならない。
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