天木直人の公式ブログ

 憲法改正は大日本帝国からの決別のチャンスととらえるべきである

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 吉田昌郎元福島第一原発所長を褒め称えた前回のブログに対して猛烈な批判の声が寄せられた。
 英雄視するなどとはとんでもない事だ。
 彼は真実を語っていない。
 メディアがこぞって彼を褒め称えるのはその証拠だ。
 「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」を執筆したジャーナリスト、門田隆将(りゅうしょう)氏がマスコミに出て吉田所長を褒め称えるのは権力側のヤラセだ。
 などなど、激しい怒りの声が寄せられる。
 当時の状況に詳しい者や、原発事故に詳しい反原発者から見ればそうかもしれない。
 原発に門外漢の私がいきなり国民栄誉賞などと言い出したのは軽卒だったかもしれない。
 素直にその非を詫びて撤回させていただく。
 しかし私はそのように吉田昌男郎氏を悪し様に言う人たちとは異なる人間である。
 彼は紛れもなくあの究極の異常事態において身を堵して頑張った人だったと思う。
 海水注水を断行してさらなる悪化を防いだ人だ。
 たとえそれが東電を守ることであったとしても、そして原発推進をしてきた自身の自己弁護であったとしても、その行動を批判することなど私にはできない。
 そして彼は不意の病に見舞われて志半ばで死んでいった。
 さぞかし無念だったことだろう。
 そんな吉田昌郎氏を悪し様に言う。
 私はそういう人たちとは異なる人間である(了)
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 憲法改正は大日本帝国からの決別のチャンスととらえるべきである

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 私が安倍首相なら吉田昌郎元福島第一原発所長に国民栄誉賞を与えることを即決するだろう。
 いまからでも遅くない。安倍首相はそうすべきだ。
 吉田昌郎元所長らに取材し、福島第1原発事故のノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」を執筆したジャーナリスト、門田隆将(りゅうしょう)氏が産経新聞にこう語っている。
 「この日本を救う役割、使命を負って生まれ、それを果たしたことで去っていってしまったのではないか・・・全電源喪失という絶望的な状況でも、次々とアイデアを出し、原子炉を冷やす水のラインを数時間のうちにどんどん大きくしていった・・・部下たちからも信頼が厚く、『吉田さんじゃなかったらだめだった』と口をそろえていた。私たちは、事故当時に吉田さんが福島第1原発にいたことを感謝しないといけない・・・」と。
 私は門田氏のこの本を読んだ事もなければ吉田昌郎という人の事も何もらない。
 しかし素人でも容易に想像がつく。
 あの時海水注入を行なわなかったら今の日本はなかったに違いないことを。
 この事についてきょう7月10日の毎日新聞「水説」というコラムで倉重篤郎専門編集員が書いていた。
 原子炉の核燃料を燃やして出る熱は2種類あることを我々は今度の事故で知った。一つはウラン核分裂によって出る熱、もう一つは核分裂によって生成される放射性物質による残留熱である。ところがこの残留熱の恐ろしさについて政権首脳はもとより、原子力安全・保安院(当時)や東電経営陣さえもは十分共有していなかったのではないか。それを知っていたら、原子炉劣化を警戒して海水注入を躊躇することなどなかったはずだと。
 これは吉田昌郎元福島第一原発所長に対する最大のオマージュである。
 吉田所長に対する追悼記事の中には、「原子力発電を推進した」とか、「津波対策を先送りした」とか「功罪」なかばするものがある。
 しかし彼こそが海水注入を断行し原発事故が最悪になることを防いだ人物である。
 吉田氏の早すぎる死が被ばくとは直接の因果関係がないにしても、彼が原発事故処理に殉職したことを否定するものはいないだろう。
 安倍首相は彼に国民栄誉賞を与えることを決断すべきだ。
 異論のある国民はいないはずだ。
 下手なパフォーマンスによる国民栄誉賞の乱発よりはるかに意味がある。合掌(了)
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