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萩原流行のバイク事故死の真相は今こそ徹底究明さるべきだ

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Photo by : 産経ニュース [http://www.sankei.com/affairs/photos/150423/afr1504230009-p2.html]
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 きょう8月30日の一部の新聞が一段の小さな記事で報じていた。

 昨年4月に俳優の萩原流行さん(当時62歳)がバイクで転倒して死亡した事故で、東京簡易裁判所は、警視庁の護送車が転倒の原因だったとして、自動車運転処罰法違反(過失致死)罪で、運転していた高井戸署の警部補(57)に、罰金70万円の略式命令を出したと。

 この報道は一面トップで報じられてよい大きな判決だ。

 事件直後の報道では、事故死の原因は萩原流行に非があったといわんばかりの報道だった。

 私なども、バイクの趣味が高じて起こした事故だろうという思い込みで当初はやり過ごしていた。

 しかし、事故の原因に疑問を抱いた奥様の追及によって検証が始まり、ついに警察官の過失致死による事故死であることが確定したのだ。

 言うなれば、萩原さんは警察(国家権力)の不注意により殺されたということだ。

 本来ならば警察庁長官が国民に向かって謝罪するぐらいの大きな事故死である。

 そこで思い出すのが高知白バイ事件だ。

 2006年3月に高知県高知市で起きた白バイとスクールバスの衝突事故は、スクールバス運転手が安全確認不十分のまま道路に進入したため起きたとされたが、その後の検証や複数の目撃証言で、バスは停止していたこと、ぶつかって来たのは白バイの方だったという疑惑が強まった。

 しかし、結局この事件はスクールバス運転手の責任が問われて終わった。

 今度の萩原さんの事件は、あらゆる冤罪に見られる国家権力による犯罪の属性を見事にあぶりだしてくれた。

 最初は、国家権力に非はなかったとごまかされて終わろうとする。

 しかし、家族や関係者の懸命の真実追及の訴えと努力で、当初の判断がゆらぐ。

 それにもかかわらず国家権力は物事を過小評価してやり過ごそうとする。

 本来ならば被害者である国民側に立って国家権力の非を追及すべきメディアが、逆に権力側に有利な報道に終始する。

 その結果、どれだけの国民が悔しい思いをしてきたことか。

 この不条理こそ、今の日本の政治の貧困を見事にあらわしている。

 弱い者が泣き寝入りして終わるような社会であってはならないのだ。

 悪事を働いた権力者が、ごまかして生き延びる社会であってはならないのだ。

 萩原さんのバイク事故死と、それをめぐるこれまでのメディアの報道は、今こそ再検証されなければいけない。

 メディアは奥様の真実追及の努力に敬意を払い、今度の東京簡易裁判所の判決を、一面トップで報じるぐらいでなければいけないのである(了)

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(最終更新:2016年9月3日)コメント4件4271

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 4 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. 萩原流石さんのご遺族が裁判で勝たれたことはうれしい。
    故人のなんとなく世にすねながらも市民的でありうる現代人の一類型を感じ取ってきた者として安堵感が湧く。
    さらには、著名な文化人、俳優としての名声やバックボーンからでなく(推定だが)、ご遺族が一市民の気骨と努力で事故の真実を白日にさらせたことは、わが国では稀有であるがゆえに貴重であり、真の意味で文化的でさえある。
    こんな事態は、どんな分野でも、とりわけジャーナリズムなどでもおおいに示唆的だ。
    世界で下位の報道の自由度だ、などと政府の報道に対する認識(寛容?)を問題にしている(懇願している?)文化人にはあきれる。ジャーナリスト自身がプロ魂、反骨心、反権力性を没却し、大衆サイドの立ち位置を喪失し、エリート階層化しているその度合いこそが国際的にも最低レベルのジャーナリズムに陥っている根源というべきだ。
    いづれにしても萩原さんの勝訴はうれしい。

  2. この問題では、メディア、特にTVが異常なまでに「静か」だ。
    萩原流行は「身内」であり、萩原に喰わせてもらった時期があったはずだし、旧知の人間も多いだろう。
    あからさまに政権批判を行っていた大橋巨泉や永六輔であれば「触れられない」という理由もあるだろうが、
    なぜ、萩原夫人の『頑張り』に報いようとしないのか。
    最近「警察24時」といった、警察の捜査に同行したドキュメント(実際にはバラエティー風味)の放送が以前に比べて増えている。
    安易に番組が作れる事で番組数が増えているのだろうが、放送局と警察との関係が警察の広報機関になってしまっている証左だろう。
    さらには、芸能人の不祥事の対応などで「ズブズブの関係」になっているので、警察の不祥事を叩けないのだろう。

    TVの対応もさる事ながら、一般人への加害事故に対する警察の対応の酷さに関しては、警察側に立てば、自分達は「安倍政権の沖縄政策で
    基地反対派住民攻撃への矢面に立たされている(現場で住民攻撃を行っている人物達は「害虫駆除ぐらいの認識だろうが」)、
    組織としてやりたくもない事をやらされているのだから、これぐらい大目に見ろ」という意識が、組織内に溜まっていてもおかしくない。
    また、それを「言い訳」にして、警察も含めた日本全体で、組織を律する規律が崩壊しかかっている、のかもしれない。

  3.  礼儀の国と言われる日本の「おもてなし」とは、表は無しで裏ばかりか?
    日本人は果たして、本当に礼儀正しいのか。「礼儀正しい人」もいれば「表面的であり、実は冷淡な人」もいるから、その見方はまちまちだろうが、日本を訪れたという外国人の大学教授が感じた日本の「礼儀」について、日本滞在中に何度か路線バスに乗った経験で、高齢者が多く利用していることに注目。そこで、幼子を連れた高齢男性が乗り込んで来ても、誰も座席を譲ろうとしない光景を目撃したと。
     また、東京都庁の展望台に上るエレベーターでは、ベビーカーを押しつつ小さな子を連れていた夫婦が、誰からも譲られることなく、最後まで残されるという場面に遭遇したと。米国で教鞭をとるこの外国人の教授が「米国なら、子連れや、不便な人たちを優先して乗り降りさせる」と感じたと。
     そのうえで、この外国人の教授が「日本人のこういった冷淡さと、サービス業における熱心さ、礼儀正しさは鮮烈なコントラストを成している」と指摘し、一見奇妙に思えるこのコントラストが「よくよく考えてみると、決して不思議なことでもないのだ」と思いついたと。
     その理由は、サービス業においては、双方に商業的な契約関係(お金=仕事だから)が存在する一方、「エレベーターや、路線バスの乗客間の公共空間には、そのような契約関係もなければ、知り合いや友人のような人情的な関係も存在しない」からだと気づいたと。
     そして、その外国人の大学教授が見た日本人は「いったん『関係』を離れた際に現れる冷淡さは、米国人のみならず、中国人をも超越している」と感じ取ったと、それが全ての日本人の性質や民族性を表わしているとは言えない。しかし、短期間の滞在でそのような印象を持ったという事実に変わりはない。
     ひと昔のように義理や人情でまかり通るような穏やかな世の中、日本ではないが、それでもやはり困っている人や不自由を抱えている人を見たら手を差し伸べる思いやりは持っていたい。
    「If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.」「強くなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」と言える大人が、日本人の中に「お客様は神様で、すべてはお金だから、仕事だから」と、日本人の心の中にはいない。戦前も、戦後の日本教育も、誰も日本人は教わっていないのだから仕方がないでは、この世の中は済まされないから、この世の中の不条理が続くのだろう。

  4. そうですか。警察に非があったと認められたのですね。私は最近市の環境課が議員と癒着しておかしな指導をしたことに気がつきました。8年前ですが、工場が用途替えをして一種住宅地に発がん物質を含む悪臭の出る工場の面積を増やした。これって妥当なんでしょうか。指導は骨抜きでした。窓を閉めても換気扇を回したら意味がないし、その他白日にさらすと恥をかく職員の低レベルが暴露されます。検証無しで「この件は終了」と門前払いをする。環境庁は関与しない。悪辣な課を持つ市に住むと大変な目に会う。悪臭検査企業は自治体を通さないと市民の依頼を拒否する場合がほとんどです。弁護士は集団でないと引き受けませんし、専門家はほぼいません。簡易裁判所も余りに冷ややかで敷居が高かったです。結局親類に議員を持つ工場が勝手に拡張し、夜9時頃まで操業していても安泰なのです。小説にでも書きたいくらいミステリアスな村社会がここ東大阪にあります。福島もこんな感じで、市民は手も足も出ないのではないかと同情します。

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